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2011年12月 6日 (火)

母の誕生日

今日12月6日は亡き母の誕生日。

昭和6年生まれの母は、9年前71才で死んだ。
生きていれば今日で80才。

「死んだ子の年を数える」というが、母の年も数えてしまう。
けっしてマザコンではないが母は母、息子にとっては常に『おかあさん』ですな。

母さんへ

誕生日おめでとう。

形見のカローラ大事に乗ってます。
9年前1万3000キロだった走行距離も今は12万キロを超えました。

○o。_____________。o○

9年前母が亡くなった数日後、読売新聞に載った甲府市の清水雅子さんという方の投稿記事を読んだ。
そしてコメントを書いた。

清水雅子さんへ。

甲府市の清水雅子さん初めまして、こんにちは。
『笑顔の遺影を10枚つくるぞ』を読みました。

>遺影を作ることにした。
>昨年の秋、友人と旅をした時の、笑顔の写真で作ろうと思う。
>これから5年ごとに1枚の遺影を作り、お別れの時が来たら、式場の入り口に並べてもらおうと思う。
>その時代に出会った知人たちと、その時代の私でお別れがしたい。
(中略)
>お別れの日に、「彼女らしい・・・」と言ってもらえたら、花に囲まれた祭壇で「ヤッター!」とガッツポーズをとろう。

私の母がさる1月8日に他界しました。71歳でした。

71歳といえば十分高齢であります。
しかし息子の私が云うのもなんですが、私の母は70歳を過ぎてもフルマラソンを走ってしまうほどのスーパーウーマンでした。

亡くなった後も「千葉マリンマラソン」エントリーのゼッケンが送られてきていました。
走るつもりだったんですね、私はまだまだ親孝行(恩返し??)が出来ると思っていました。
この期に及んで心配の種を蒔き続けていたどうしようもない息子でした。

正月に帰省した時も、そりゃあもう元気で「前橋ランナーズ」所属の母は、毎年恒例、前橋市で行われる全日本実業団駅伝「ニューイヤー駅伝」の手伝いに奔走しておりました。
正月休みの帰省から帰り、仕事をスタートさせた矢先の突然の出来事でした。

死因は「脳出血」いわゆる「クモ膜下出血」に因る脳幹の圧迫でした。
駆けつけたときには意識はなく・・・まあ倒れた時点から意識は戻らなかったのですが、昼間の12時20分に倒れ、その日の夜9時38分家族が見守る中静かに心臓の鼓動を停止しました。

今思えば正月帰ったときに「頭が痛い」と云っていました。
でもこの時期、健康に自信のある人はたちの悪い風邪くらいにしか思いませんよね。
悔いが残るようなことは考えたくありません。

私の知り合いに敬虔なクリスチャンがいて、以前こんなことを云っていました。
「仏教のお葬式、法事って何で形式的なの!?何で引き出物があるの??
何でお清めと称して食事の場が設けられるの??キリスト教の葬式は人間味があるよ・・・」


たしかにそうかもしれない。

そしてお子さんを亡くしているその人はこうも云っていました。
「でも悲しみをいつまでも引きずってしまう、気持ちの整理がつかない。」
それが本来の姿なのかもしれないね・・・キリスト教がという意味ではありませんが。

でも、今私は仏教の形式的な儀式に感謝しているかもしれない。
通夜、火葬、告別式、初七日、四十九日・・・徐々に母の死を受け入れている自分を感じます。

母の死後、悲しみに暮れる中、知り合いへの連絡や、通夜、告別式の準備に追われました。

そして・・・・・遺影にする写真を・・・。
証明用に撮った写真、集合写真のすまし顔、正面を見た胸から上の写真。
候補に上げてゆく写真は周りの人たちの心の中にある母親のイメージではありませんでした。

しばらくして誰からともなく「こういう写真はだめなのかなあ。」

それは母がホノルルマラソンを走っている写真でした。
走っているときにカメラを向けられ、笑顔でVサインをしている写真。
それこそ「イェ~!!」ってなもんです。(遺影との引っかけだよ。)
私は思わず云いました「うん、お袋らしい!!」

結局、生花に埋まった祭壇に飾られた母の遺影はTシャツに短パン姿で笑顔で走る全身姿のカラー写真。
式場に設けられた想い出のコーナーにも様々な大会を走る母の姿。
トロピカルムード満点の海外旅行の家族写真。

>出来るならば、私の大好きな小田和正の歌「さよなら」なんかを流して、家族や知人が泣き笑いをしてくれたら最高だ。

母の告別式には母の大好きだった曲、さだまさしの「風に立つライオン」を繰り返し流しました。
そのCDは私が母に買ってあげたCDでした。
そのCDは、私が買ってあげたCDプレーヤーのトレイにありました。
おかげで今後その曲を聞くことが出来なくなりました。

清水雅子さんはお茶目な人なのかな?? 

5年ごとに1枚で「笑顔の遺影を10枚つくるぞ」ですか。
ん??・・100歳超えますか??・・楽しい企み決行はまだまだ先のようですね。

どんどん企みましょう、私も企みます。
でも雅子さんのおっしゃる通りその楽しみはまだまだ先へ延ばし、今を精いっぱい生きましょう。

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コメント

akku-iさんのお母さんはとても元気な方だったんですね! 私の母は昭和9年生まれ。他界してもう20年以上になります。生きていれば今年で77歳です。昔から体が弱く、よく寝込んでいました。それに比べ、マラソンなんて!!!! 信じられません(^_^) 羨ましいお母さんです!!!!

■魔法使いさん

お忙しそうですね。

ホントに元気印の母でした。
これからたくさん恩返ししようとしてたのに、油断してました。(;^^A
もう10年近く経つんだなあ。。

魔法使いさんのおかあさん。
20年前に亡くなって、生きていれば喜寿!?
若くして亡くなられたのですね。
生きていれば孫達に囲まれてにぎやかだったのにね。

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